できる人は自分で突破できる人
たまにわからなくなる話
私達はデザインという仕事に従事している事もあり、
パソコンで使えるアプリケーションを使って仕事をしています。
しかしそれは、パソコンに詳しい事とイコールではないのです。
それを理解されず、わたしたちは今まで「なんでこんな事頼むんじゃ!?」
という畑違いの事をやってきたわけですが(特にマツモト)
えーちゃんは置いといて(断る事が多いので)マツモトはそういう時は分からないなりに
一生懸命調べて、考え尽くしてなんとか相手の気持ちに応えようとするのです。
(仕事でない場合が殆どです)
しかし、その場合頼んだ相手というのは「さすがマツモトさん!ありがと★ミャハ」
で終わらせたりしまして、なかなかその辛さであったり苦労というものが
伝わらないものなのだな。と思い私は日頃から悶々とするわけです。
言わないと分からない、というのは至極当たり前です。
けれども、そうやって人になんでもかんでも頼めばいいと思っている人は、ネット難民というものになったり時代に取り残されていくのだろうなとつくづく思うのです。
私は「できる人」というのは「自分のちからで困難を突破できる人」
だと思います。
こうやって書くと、誰かを責めてるとか勘違いされるかもしれませんが、もし責めているならば私は昔の自分をきつく叱りたいです。よって、これは反面教師として書いているのですが、昔とある職場の上司に「私は不器用だからできません」と言ったことがあります。
すると上司が諭すように(しかし怒っていた)「二度と不器用なんていうな。お前には五体満足で考えて行動できる脳みそだってあるだろう。それを大して試しもしないでできません、なんて不器用という言葉で片付けて逃げているだけだ」
と言ってくれました。
私は、すごくその言葉に瞠目しました。
自分は逃げていたのです。
面倒くさいから、わからないから、知らないから、できないから。
それはきっと、誰しもがそうなのです。
それでも、自分のちからで考えたり、調べたり、行動して答えをなんとか見つけて成長している。
それなのに、簡単に「わからないからやって」なんて、その人の能力を搾取するにほかならないのにそんな事が許されるのか、と私は至極反省しました。
自分でやればできるのに、自分の手に負えない事(負えないかどうかも分からないのに)を人に頼むというのは、自分が成長できるチャンスを放棄しているものと同じなのだと思います。
そうして、頼まれた人は真面目に知識を積んでいき、頼んでばかりいる人は永遠にだれかにすがりついていくしかないというのが、目に見えているでしょう
そんなふうに自分をしてはいけない、と数年前に思いたちなるべく出来る限りの事はまず自分で調べてそれから次の手を考えようと思いました。
知る事や、できる事は自分の人生を確かに豊かにするし、
生きる道の自信に繋がります。
私はひとよりもうんと、不器用で細かい事が苦手です。
しかし、もう言葉で逃げる事はやめました。
頼むな、頼るな、と言っているわけではなく、自分のちからで道を開く事ができる力を身につけるのは、何者にも代えがたい自分自身の糧になるのだと、そうわたしは信じています。
真面目な事書きすぎて脳が痺れました。
おしまい
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